よんでいる日

読書の感想とか

自分にとってとあなたにとっての差について考える人へ(『八月の六日間』北村薫)

  いつの間にやら駄目になっていることに気づいてびっくりするものはたくさんあります。生命を育む土壌と化した炊飯ジャーのなかのごはんとか、季節が何周回っても流行することはないなこれとある日ふと気づくお気に入りだったはずのわけのわからない形状のシャツとか、端的に恋人との関係とか。

 

 なんとなくこのままではいけないよなーとうっすら思っていたりはするのだけど、日々の忙しさにかまけて忘れているふりをしているうちにだいたい取り返しのつかないことになってしまっている。

 

 そしていつもこう思うのです。もっとはやく対処しておけばと。

 

 という感じのようなことを繰り返してきたひと、わかっているけどさまざまなものを失ってきたという感じのひとにおすすめなのが『八月の六日間』です。

 

 この小説では劇的なことは起こりません。主人公に起こるのはとてもありふれたことです。仕事の上での人間関係のきしみや、恋人との別れ、そして大切な友人の死など。誰しもが経験することといっていいでしょう。しかし、経験する当人にとってはとてつもなくしんどいことです。

 

 そうしたさまざまなやりきれないことを経験しながら、主人公は山に登ります。べつに登山することになにかを託すわけでもなく、なんだかうまく動かない心のまま、ただ山に登ります。

 

 べつに自分の抱えてる問題が解決されるわけでもなく、山で出会うなんやかんやによって内面の劇的な変化が起きるわけでもなく。

 

 そうこうしているうちに、主人公はいつのまにやら自分は大丈夫かもと思えるようになります。体は疲れているし、相変わらず胸にはわだかまりが残っているのにも関わらずです。

 

 この小説は現実が厳しいときも多々あるということを前提にしたうえで、可能な限りやさしく書かれたものだと個人的には思います。これ以上厳しくしてもやさしくしても嘘になってしまうぎりぎりのところで。フィクションだから嘘の一種であるということはもちろんなのですが、なにかしらの真実は間違いなく書き込まれています。舞城王太郎が「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」と書いているみたいに。

 

 なにもかもがめんどくさいままどうにかやっていけるかもな、と思わせてくれる小説です。

 

 なにが言いたいかというとこれはおもしろい小説だぜ、ということです。ちょうどもうすぐ文庫が発売されるのでこれを機に読もうぜ、ということです。

 

 

八月の六日間 (角川文庫)

八月の六日間 (角川文庫)