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よんでいる日

読書の感想とか

物語に思うもろもろのこと(『絶望読書』頭木弘樹)

 なんで物語って存在するのだろう。小説や漫画を読むのは楽しいし、映画や演劇を見るのはおもしろい。でも、実際の役には立たない。歯痛が治まったり、部屋の空気がきれいになったりしない。

 

 空想上の花子や太郎の懊悩とか喜びとかその他もろもろの感情の変化の過程を知って、それがなんになるのだろう。

 

 そんなことを物語を楽しむようになってからちょくちょく考えるようになった。いまでもたまに考えている。

 

 というわけで『絶望読書』である。この本にはその疑問に対してひとつの回答が書かれている、というふうに俺は読んだ。

 

 いきなりだが、精神科医のオリヴァー・サックスは『妻を帽子とまちがえた男』でこんな風に書いている。

 

われわれは、めいめい今日までの歴史、語るべき過去というものをもっていて、連続するそれらがその人の人生だということになる。われわれは「物語」をつくっては、それを生きているのだ。物語こそわれわれであり、そこからわれわれ自身のアイデンティティが生じると言ってもよいだろう。(早川文庫、P209)

 

  つまり「わたし」や「あなた」は記憶の集積からできている。とすると「わたしらしさ」というのはいままでに積み上げてきた自分の行動、感情の反応の延長線上にあるものということがいえる。

 

 で、『絶望読書』にもどる。タイトルにも入っている絶望という言葉は上記の「わたしらしさ」を奪われることじゃないかと思う。たとえば将来を嘱望されていた野球選手が肘を壊して選手生命が絶たれるようなこと。子どもを授かることを望んでいる夫婦が夫もしくは妻が原因で望めないということがわかること。

 

 いままでの「わたし」ではいられなくなること。それを絶望という。

 

 この本にはそういった絶望からの立ち直り方が書いてあるわけではなく、絶望とのつきあい方が書いてあるように俺には思う。

 

 そしてそのつきあい方にはフィクション、「物語」が有用であるということも。

 

 とにかくこの本はおもしろいから読んだらいいと思う。

 

 

絶望読書――苦悩の時期、私を救った本

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