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よんでいる日

読書の感想とか

概念としての関西人が小説を語ると(『ラブレス』桜木紫乃)

 めっちゃおもしろい本読んでしもたからちょっと以下にちょこちょこ書いとく。この記事は関西弁っぽい文で書くから堪忍や。

 

『ラブレス』っちゅうタイトルは跳躍すると「愛のない」という意味に日本語ではなる。つまりこの小説は愛について書かれているという雑なことが言える。愛がいかに欠けているかということを書くことによって、逆に愛っちゅうものが見えてくるみたいな感じ。知らんけど。

 

 ほんで、愛にはさまざまな種類があるっちゅうことがこの小説では書かれているような気がするねん、俺には。どういうことかっちゅうと、性が介在する性愛、家族へ向けられた家族愛、自分への自己愛、ほいでもっと大きなこの世に存在する事物すべてに向けられた愛とか。ひとりの女性がさまざまな経験を通してたくさんの愛のかたちを作り出していく過程が、この小説では書かれていて、それがおもろいなあと俺は思ってん。

 

 んなこと言うても抽象的すぎてわかりにくいし、物語の筋を書いておく。生活保護を受けながらひとり暮らししている叔母に連絡がつけへんようになったからということである女の人が様子を見に行く。ほしたら叔母は倒れてて、意識を失ってしもてる。ほんで、この叔母がこの小説の主要な人物。主人公はいきなし意識不明。物語はいきなり、主人公の終わりの描写から始まる。ほいでその叔母がどういう来し方をしてその終わりにたどり着いたのかっちゅう長い物語が始まる。

 

 で、唐突で悪いけどひとはそれぞれが自分の人生送ってるやんか。俺は俺でいろいろなことやらなあかんし、あなたはあなたのせなあかんことがあって、きみにはきみの事情がある。で、あなたのせなあかんことやきみの事情を俺は知らんし、あなたもきみも俺のやらなあかんことを知らん。なにを当たり前なこと抜かしてんねんと思うやろうけども、まあまあ、そういうもんやんか。

 

 毎朝決められた電車に乗ってると、顔だけ知っているひとが増えてくもんやんか。いつも端っこの席に座って居眠りしているぼろい革靴はいたおっちゃんとか、毎週月曜にはジャンプを重いやろうに片手でつり革持ちながら読んでいる高校生男子とか、いつも音漏れしたイヤホンつけてる(しかも曲はパンク)の女子とか。で、俺はそのひとたちについてなんも知らへん。そのひとらは絶対になにかしらおもしろいところがあるやろうけど、お互いに知り合う可能性はゼロやん。いやなにかしら起きて知り合う可能性はあるかもしらんけどほぼゼロやん。

 

 おっちゃんにはおそらく五十年弱の人生があって、ジャンプ男子には二十年弱の人生があって、パンク女子には何年かしらんけど人生があるんやろう。でも、俺はそれらを知ることはない。

 

 みたいな壮大なようなことを考えさせる小説やった、『ラブレス』は。ある女性の一代記っちゅうくくりかたはできるんやけど、ものすごく開かれた小説やった。おかしな言い方になってまうけど、ひとは生きていれば誰かと関わらざるをえないことがしっかりと書かれてた。あるひとりの女性の一代記ともなれば、そらたくさんのひとと関わって影響を与えたり受けたりするよ、どうしても。

 

 とにかくおもろい小説やった。ほんで関西弁で文章を書くのはなんかめっちゃおもしろかったけど、おもしろく感じるのは確実に俺だけなうえにやたらなれなれしくてそのくせ読みにくい文章になるというデメリットがすごい。

 

 とにかく『ラブレス』はおもろい。