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読書の感想とか

自意識との向き合い方(ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』)

フィクション

 自意識とどういうふうにつきあっていけばいいのか、という態度を決めることは思春期においてとても重要なことである。自意識が過剰になると他人にどう見られるかということが気になってうまく行動ができなくなるし、逆に自意識がなさ過ぎると自分がされて嫌なことへの想像力が薄まって他人への配慮を欠いた行動をしがちになるからだ。中二病なんていう言葉で揶揄されるくらいイタイ行動をしがちな思春期の内に、ええあんばいの自意識を身につけることができれば、それにこしたことはない。

 

 と客観的に書いてみたところで実際に思春期の頃を思い出してみれば、それどころじゃなかったということにすぐに思い当たる。クラス内のヒエラルキーを気にしつつ、自分に割り当てられた「キャラ」を演じつつ、顔の見えない全国の同級生から遅れないように学業をがんばりつつ、このわき上がる性欲って悪いものじゃないのかというかどう処理したらええのかもわからない助けてとかわけのわからない罪悪感を持ちつつ、と気にかけなくてはならないことが多すぎた思春期ってすげえしんどかったなあと振り返ると思う。子どもは社会的にはさまざまな義務を免除された存在って言われているけど、自分にはひたすらにしんどかったなあということばかりが思い出される。もちろん大人は大人でもろもろしんどいが。

 

 最初の一行に戻るけど自意識との向き合い方っていうのは本当にしんどかったなあと思う。アイデンティティに直結した問題だからしんどいのは当たり前なんだけど、それでもしんどかった。というか自意識とのつきあいは一生続いていくものだからこれからも気は抜けないんだけども。

 

 そして『思い出のマーニー』である。とてもおもしろかった。以下軽いあらすじ。

 

 心を閉ざした女の子のアンナは周囲のひととうまく関わることができず、そんな自分にも自己嫌悪する日々を送っている。アンナは休暇の間、気分転換のために田舎に住んでいる親戚の叔母の家に滞在することになる。そこでのマーニーとの出会いがアンナの心を少しずつ開いていく。

 

 要するに自意識過剰の女の子が主人公である。アンナはその自意識過剰さを存分に発揮する。鳥の鳴き声が「ピティ、ミー(私を憐れんで)」とアンナには聞こえたり、つねに誰かに見られていると感じたり、私は周囲のひとにとって迷惑な存在なんだという自己イメージを抱いているところにそれは表れている。

 

 いやそれ気のせいであなたはそんなにたいそうな人間ではない。そう言ったところでそれは解決しない。自意識過剰は過度の自信に過度の自信のなさを加えると発生する現象で、結局のところ折り合いをつけることがまず必要とされるからだ。そのあとでようやく具体的な行動がとれるようになる。そうした折り合いをつけることをすっとばすと、身の丈に合わない大きなことばかりおいかけて何者にもなれないまま年を重ねることになったり(俗に言うアイデンティティの拡散)、逆に自身を過小評価してなにものにもなろうとしなかったり(俗に言うとなんなんだろう)することにつながる。

 

 その折り合いをつけるのを助けてくれるのは常に他人というわけで、ここでマーニーが登場する。誰とも仲良くなろうとしなかったアンナではあるが、なぜかマーニーとは仲良くなれそうと思う。そしてふたりの秘密の交流は始まる。その中でアンナは自分だけが不幸だと思うのではなく、存在するひとの数だけ不幸があることをマーニーを通じて学んでいく。そしてその逆に幸せもあるということを。

 

 そうしてアンナは他人と交流することによって徐々に自意識過剰から脱却していく。

 

 俺はこのおはなしをひとりの女の子が成長して他人と関わることができるようになっていくというふうに読んだけど、この他人と交流することと自意識過剰からの脱却が鶏と卵の関係みたいになっているところがおもしろかった。自意識過剰じゃなくなっていったから他人と交流できるようになっていくのだけれど、自意識過剰じゃなくなっていったのは他人と交流したからだ。どっちが先なのだろう。

 

 もちろんマーニーとの交流がアンナを変えたのだけれど、そのマーニーっていうのがなかなか曲のある存在で、ただアンナが他人と関わったというふうに読めないところもおもしろい。

 

 この本を中学生か高校生の頃に読んでいたらどうだったろうと思う。たぶん救われただろう。いま読んでも、かなり響く。おっと、最近の俺は自意識をないがしろにしていないかなと考えさせる効用もある。中庸がいいんだろうけど、凡人の俺はそれをめざすと中途半端になりがちなんだよな。などと自意識についてうだうだ考えることもできる本だった。おもしろかった。

 

 (追記3/24)

 

 自意識との向き合い方というタイトルなのに、そのことを書き忘れていた。

 

 『思い出のマーニー』を読むことがその助けになるひともいるかも、と書こうとしたのだった。この小説は主人公のアンナの視点で進むのだけれど、最初の方は自分のことばかりが描写されていた内容が、後半に進むにつれて周りの風景や他人との交流の描写に変わる。

 

 たぶん過ぎた自意識はそういうふうにして薄まっていくのだろう。楽しいことを見つければそのことをけっこう考えるようになるだろうという。つまり楽しいことを見つければいいという毒にも薬にもならぬ結論。でも自意識に凝り固まっているときにそうするのは難しい。

 

 まあお互いにがんばろうぜ、自意識っていうのはある程度は必要なものだし。というやっぱり毒にも薬にもならぬ結論。