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よんでいる日

読書の感想とか

筋トレと読書

 筋トレと読書は似ている。どちらも軽いものから始めて、徐々に重いものにしていく過程が似ている。それに慣れてくればスピードが上がっていくのも似ているし、実はゆっくりとやった方が効果が高いところも似ている。しかし、気づけば効果を落とさずに、どちらもある程度はやくできるようになる。

 

 ふとそんなことを思った。

 

 果汁がしたたるようなみかんが食べたい。厚い皮をむいて、身を包む薄皮は気にせずに歯を立てて果汁をすすりたい。何故かそれは屋外で、口のまわりをよごし、こぼれる汁が地面をぬらし、ぐるりには何故か見物人がいて、そのひとたちに応援をされながら、そして高笑いをしながらみかんを食べたい。

 

 いまは『プリズン・ブック・クラブ』という本を論文書きの合間に読んでいる。とてもおもしろい。これは刑務所の受刑者たちが読んだ本の感想を言い合う読書会を開く内容のノンフィクションだ。本を読むことは自分の中の窓を開けることと読書について語る受刑者、彼ら(受刑者)は麻薬よりも書物に夢中という作者の感慨。そんな印象的なフレーズが残る。

 

 読み切ったらなにかしらの感想を言葉にしたい。そういった感情を言葉にするってことも筋トレだ、そういえば。

 

 だいたいのことは続けることさえできれば、ある程度のところまではいける。そんな意味で、なにかを読んで感じたことを逐一言葉に変えていくことはこれからも続けたい。自分自身が読み返すとおもしろいという理由もある。

 

 とにかく、やっぱ本はいい。

雑記

 卒業論文を書いたり彼女ができたりでブログを書いていなかった。しかし、本は読んでいた。以下、読んだことを覚えている本の覚え書き。

 

『2』野崎 まど

 

 スーパーロボット大戦みたいな小説。いままで作者が書いてきたそれぞれ一作で完結していた小説のキャラクターがひとつのおはなしに集合する。おもしろかった。やっぱり物語はおもしろい。最近は資料ばかり読んでいて、もちろん資料は資料でおもしろいんだけど、やっぱり小説とは違うんだよな。でも知識って物語を楽しむためには必要な要素だから勉強も大事だと思う。あと、伊藤計劃が書いていた「意識はひとが生存するために便利だから生まれた」(かなり乱暴な意訳)というアプローチを、この本もとっているような気がした。伊藤計劃ってすごい作家だったんだな、と思った。

 

『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』ジェーン・スー

 

 この本はエッセイ集であり、テーマはタイトルそのままである。女性という性別に押しつけられる役割や赤い口紅や前髪を甲冑という重くて動きを制限するが、ある意味では身を守るものとして表現しているのがすばらしいなあと思う。そして、「女の」と冠されているが、このエッセイは「女」にとどまらず「男」であるとか「大人」であるとか「子ども」であるとか、ひとを簡単にひとまとめにして理解するときに便利な言葉を入れても成立するタイトルになっている。しかし、そうした押しつけられるステレオタイプをただはね除けようとせず、甲冑というすばらしい比喩で、というのは繰り返しになるので省略する。ちなみにこの作者はラジオのパーソナリティーもされていて、しゃべりもおもしろい。

 

『自分では気づかない、ココロの盲点』池谷 裕二

 

 脳科学に興味のあるひとならほとんど知っていることが実験の紹介とともにわかりやすく解説されている。入門書、そして多少脳科学を知っているひとにはその知識を定着させるのにちょうどいい分量。おかしな言い方だが、ちょうどいい本だ。少なくとも俺にとって。

 

君の名は。』新海 誠

 

 せっかくなので映画についても書く。映画の開始からおもしれーと思って、終わったあとはおもしろかったーと思った。素直に楽しめた。見てから三ヶ月くらい経っているのでほとんど覚えていないけど、これはおもしろいわなあと思ったことを覚えている。印象的な場面で挿入される曲であるとか、美しい背景であるとかいろいろなひとがいろいろなことを言ってくれているので俺が言えることはない。でも特別な関係というか運命の恋人というテーマが主軸にある、言ってしまえば古くさいロマンチックなおはなしをたくさんのひとが信じ、かつそれを受け入れている今の状況はなにが要因なんだろうと思う。このことについてもなにか言っているひとがいるかもしれないし、もしもそれが記事になっているのなら読みたいが、見つけられていないので書く。

 いままでの作品との対比で言えば、明らかに今作の主人公ふたりは行動する人物として描かれている。そして、ぜんぜんこの作品に関係ないが新しく作られた『シンデレラ』も、ただ魔法で助けてもらう女性としては描かれず、自分で行動する女性として描かれていた。『シンデレラ』では、これが現代の社会において正しいとされる価値観だという制作側の意図が、どこをどう改変しているかと言うことによって透けて見えていた。しかし、オリジナル作品である『君の名は。』においては当たり前だが改編がなかった。だから、観客というか俺はロマンチックな世界観に没入できたのかもしれない。でも我ながら書いていてまったくしっくりこない。まあそんなことはどっちでもよく、とにかくおもしろかった。

 

『セラピスト』最相葉月

 

 心の病気というものが日本においてどのように受容され理解されていったかという歴史を扱うパートと、著者自身が心理療法を受けるパートのふたつにこの本は大別される。どちらのパートもすごくよかった。しかし、俺の印象に残っているのは後者のパートで、その中でも飼っている猫が鳴く度に返事をする精神科医の描写がいたく心に残っている。ディテールの書き込みが素晴らしかった。心という曖昧なものを記述するには、詳細な書き込みが必要なのだろうと俺は勝手に思った。

 

 最近はほとんど本が読めていない。はやく卒業論文を書き終わり、好きな本だけを読んでたまにブログを書く生活に復帰したい。というかする。ミランダ・ジュライを再読したい。とりあえず寝る。

日々雑感(『ジャージの二人』長嶋 有)

 ほかに好きな人がいる妻との不和を抱えたまま、父と山奥にあるぼろい別荘に避暑へ来た男の話です。

 

 男は妻への嫉妬や恨みをときおり感じつつ、ある意味では不便な生活を送ります。いちいち風呂を沸かすための薪を割ったり、そういう都会に住んでいればやる必要のないことをして一日を過ごすのです。

 

 それは逃避であると男自身もはっきり自覚しています。逃れてきたのだからしっかりと逃れるということをしなくてはならないという趣旨のことを男は思います。

 

 しかしいくら特別なところに行こうとも、すばらしい体験をしようとも、日常の中で積み上げてきたことは変わりません。なにをしてても妻のことを考えるときがあり、定期的に腹は減り、ときどき山奥マジ涼しいという気持ちになります。

 

 そういった定まらない感情(もともと感情はそういうものですが)が書いてあって、この小説はすごくおもしろいと思いました。

 

 というか、細かい描写が本当におもしろいし、すごいです。すごい文章だなあと俺は思いました。

言葉というイデオロギー(『夜を乗り越える』、又吉 直樹)

 ベストセラーの『火花』を書いた芸人、又吉 直樹の本である。

 

 はしがきで作者はこう書いている。

 

「なぜ本を読まなくてはいけないのか?」「文学の何がおもしろいんだ?」「文学って知的ぶりたいやつらが簡単なことを、あえて回りくどく言ったり、小難しく言ったりして格好つけてるだけでしょう?」

 

 そのような質問に対して、自分なりに時間をかけて逃げずに説明してみようと思います。このことについて自分でも真剣に考えてみたいとも思いました。(p、4)

 

 

 上記のとおりこの本で作者は考えに考えている。太宰や芥川について書き、そのことに関連するような自分の経験について書き、本の読み方指南のようなことが書かれているかと思えば、文学へのシンプルな憧憬が書かれる。

 

 上記の三つの質問(それは文系が軽んじられている世の中の風潮を表している)に対して、作者は恐ろしいくらい細かく親切に答えようとしている。その集積がこの本だと俺は思う。

 

 だから一見、そんなことに関係のないようなことが書かれていたりする。しかし、関係のないことなんてなかったと読んでいるとすぐに気づかされる。本を読むということは、読み手のそのときの体調や年齢といった刻一刻と変わる要素と切っても切れない行為だからだ。印刷された言葉自体は変わらないが、それを受け取る側は、変化し続けている。

 

 彼女に振られたとき、腹が減っているときで読書の感じ方は違う。そういったことを、自分の学生時代の懊悩やびびるくらい金のなかった芸人の下積み時代や周囲の嫌なやつのことや友人のことなどを書くことで、表そうとしたのかとも思う。

 

 文章はめっちゃうまいし、表現は秀逸でおもしろい本だった。

内向と外交の邂逅が拮抗(『青空の卵』、『子羊の巣』、『動物園の鳥』、坂木 司)

 この三冊はいわゆる日常の謎というジャンルに分類されるミステリー小説だ。人が死んだりはせず、誰かが深刻に傷つけられるということもほとんどない。日常で接する人がいつもとは違う行動をとるようになった。その理由はなんだろうということを解き明かしていくお話である。

 

 この小説は坂木という登場人物の一人称視点から語られる。坂木は外資系の保険会社に勤める営業をしている男で、頭にドがつくお人好し。そういう人物である。彼も主人公ではあるが、もうひとり主人公がいる。それがミステリー小説においては欠かせない探偵役の鳥井という男である。

 

 鳥井は過去に受けたトラウマから外出をすることがほとんどできない人物として描かれている。外出ができないので在宅プログラマーとして生計を立てており、社会と完全に切れているわけではない。しかし長年のひきこもりと過去のトラウマから対人スキルは著しく低く、目上や初対面の人であろうとお構いなしに乱暴な言葉遣いで話す。端的に言うと社会不適合者である。ちなみにこの三作は「ひきこもり探偵シリーズ」と呼ばれており、つまりそういうことである。

 

 以上の二人が主人公である。鳥井はホームズで坂木はワトソンと思えばまちがいない。この二人には深い縁があり、そのつきあいが始まったのもある出来事がきっかけで……といったふうに彼らのエピソードは作品においてかなり細かく描かれている。

 

 探偵役の鳥井は尋常ではない頭の切れを見せるが社会に適合することのできない人物である。

 

 その助手役の坂木はなにか閃きを見せたりはしないが一つの会社に属して社会人として過ごすことができている人物である。

 

 この対比は作者にとってかなり意識的なものだったのだろう。坂木はそれなりに社会に適応し日々を過ごしているが、その坂木ではどうすることもできない出来事に彼はぐうぜん遭遇する。そして坂木は自分ではどうしようもないので鳥井に相談する。鳥井はその出来事のある部分にピントを当て、行間を推測し、そしてひとつの答えを導く。しかしそれが正解であるかを確認するためには外に出てさまざまな証拠を探すことが必要となるが、鳥井一人では外出もおぼつかない。そこでまた坂木が出てきて、他人との応対をする。

 

 どちらかひとりだけでは物語が成立しないようになっている。物語の構造的にふたりは相互に依存してるし、物語の内容においてもふたりは依存しあっている。ふたりがどのようにして相互依存の関係になったのかはここでは書かないが。

 

 そうした相互依存の状態から抜け出していく過程もこの小説の楽しみのひとつだ。

 

 坂木はドがつくほどのお人好し、鳥井は社会不適合者と端的に書いたが、それは言い換えるとふたりとも子どもであるということにほかならない。そのふたりの子どもがどのように大人になるのか、自立と孤立の違いはどこにあるのかということも考えさせられる小説である。

 

 読みやすい文章だし、内容は王道の成長物語という一面もあるのでなかなかよい小説だった。

 

 しかしいまの俺にはあまりおもしろくないところも多かった。

 

 それは主人公ふたりの人物造形がむかつくというところだ。しかしこれはただ単に俺の個人的な感情に過ぎないが、坂木は世界を美しいものとして見たがりすぎで鳥井は世界を汚いところとして見たがりすぎだろうと俺は思ってしまった。

 

 でもそういう未熟さというか鼻につくところがあるふたりが成長していく過程が書かれている物語だから一概に文句は言えないんだけども。でもとにかくふたりにはむかつく。

 

 でもこういうふうにしてむかつくってことは、俺のなにかしら基準にしてる価値観を揺るがせるようなことが書かれていることでもあるからやっぱり物語は難しい。この三作の小説はけっこうおもしろい。

生と死のグラデーション(『医師は最善を尽くしているか』アトゥール・ガワンデ)

 たとえば医療は手洗いだったりする。病院内で起きる感染は、手洗いが徹底されていないから起きる場合もあるというエピソードが最初に語られる。そして手洗いを徹底することがいかに難しいかということも。

 

 この本の作者は医師である。だから医師から見た医療についてももちろん触れられる。患者との関係、医師の給料がどのようにして支払われるのかまた相場はどのていどなのか、病院によって患者の快復率が異なるのはなぜか。

 

 もちろん医療は病を得たひとにとって最も関係の深いものであるから、患者の視点からも書かれる。間違った治療を受けて後遺症が残ったひとや死んでしまったひと、遺族が医者に対して抱く思いや感情、いい病院っていうのはなにがどういうふうになれば決まるのか。

 

 というふうに医療ってなんなん? ということが様々な角度から語られたおもしろい本である。以下は感想。

 

 なにをどう言葉にすればいいのかわからない感じが残る幸福な読書だった。私はおおむね健康でいままで医療というものについて考えたことがなかった。私にとっての医療とは、体調が悪いときになんとなく保険料を払うことによってなんとなく持っている保険証を携えてなんとなく近くの病院に行くことだったので、医療とはいろいろな事柄から成り立っているものだということが書かれたこの本を読むことができて本当によかった。

 

 本はだいたいおもしろいものだが、読み終えて高揚感を得るほどおもしろい本に出会ったのは久しぶりだった。

 

 まず作者がきちんと言い切っているその姿勢がかっこいい。医療に携わる医師としての限界に触れつつ、しかしできることを全力で自分はするということが書かれている。かっこいい。

 

 なにかを言い切ることは責任を負うことにも繋がる。だから明言は避けて、曖昧な物言いをすることを私はしがちだ。

 

 なんというか、ひとくくりに医師ってすごいなあとは言えないけど、医師にもすごいひとはたくさんいるんだなあとこの本を読んで思った。

 

 ただすげえなあと思えるひとを増やすことはけっこう気持ちいいもんだということに改めて気づいた。

 

 とにかくおもしろい本だった。

切実さは離れて見ると申し訳ないけどおもしろい(『腰痛探検家』高野秀行)

 そのままずばりな内容の本である。この本は腰痛の探検家の本であり、そして腰痛を探検する本である。

 

 著者は「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをして、それを面白おかしく書く。 をモットーに執筆活動をつづける辺境作家」であるそうだ。実際にインドへ不法入国して捕まって、大変な目に遭いそうになったりしたというエピソードがこの本にも書かれており、行動力が旺盛なひとであるとそのことからもわかる。

 

 そういった体が資本の探検家が腰を痛めて自由に動けなくなる。どうにかその腰痛を治さなくてはと考えてさまざまな療法を試していく、腰痛の探検の過程がこの本の内容である。

 

 俺も軽い腰痛を抱えており、もしかしたら腰痛にいいなにかしらの療法が見つかるかもしれないと思いながらページを繰った。だが、そのうちこれは腰痛を治すためにさまざまなことを試した=腰痛を探検したということをつづった本ではなく、その腰痛に支配されそうになった著者がどうにかこうにか腰痛から逃れる過程を書いた本なのではないかと思うようになった。

 

 実際に著者はこの本の後半では、ほとんど腰痛に支配されて平時の生活を営むことができないようになっている。腰痛の原因はもしかしたら心因的なものかもしれないと考え、抗うつ薬を服用して体がうまく動かなくなってしまったのだ。

 

 この腰の痛みの原因はなんなのか。身体的なものなのか、それとも心因的なものなのか。どうにか原因を確定しようとした著者は、そのためにいま残っている健康をないがしろにするようなことをしそうになる。

 

 しかし、結局もう腰痛などどうでもいいと開き直り、薬を投げ捨て自由な行動をとるようになると、少しずつ著者は治っていくのである。

 

 ひとはさまざまな要素からできている。著者は男で、探検家で、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをして、それを面白おかしく書く。 をモットーに執筆活動をつづける辺境作家」である。それ以外のまだまだたくさんの要素からできたひとりのひとである。しかし、そういったさまざまな要素が「腰痛」に塗りつぶされそうになり、自分=腰痛という状態になりかけるが、どうにかそこからの脱出を果たした過程がこの本なのではないかと俺は思う。

 

 俺は『腰痛探検家』を読み終えてから、勝手にタイトルの「腰痛」を自分の身の回りのさまざまなことに置き換えてみた。「仕事」であったり、「音楽」であったり、「好きなひと」であったり。俺はそうしたさまざまなことについての探検家であるとはとてもじゃないが言えぬが、でも雑多な要素が集合して俺という人間はできているとぼんやりと思った。

 

 とにかくこの本を読み終えて思ったことはひとつの要素に支配されることは危ないことだ、ということだった。でも、そうしてのめりこめるものがあるというのは、おもしろいことでもあるよなあということだった。

 

 危険を伴う腰痛を巡る探検がつづられたこの本はおもしろいから読んでみるといいんじゃないかと思う。人間関係で袋小路に陥ってしまったと感じているひととか、その悩みにこの本はあんがい効くんじゃないか。最終的に世界にはものが過剰なほどあり、目を向ける場所を変えればどうにかやっていけるとか思わせてくれる本だと個人的には思うから。あと単純に笑える。おすすめ。

 

 

腰痛探検家 (集英社文庫)

腰痛探検家 (集英社文庫)